たのしい防大ものがたり①

これはむかしむかしのお話です。
防衛大学校という、ますらおをそだてる学校がありました。

そこでは学生が「ちえすとおぉぉー!!」と
朝からさけび、うたい、なみだしました。

これはそんな学校にぱやぱやがいたときのお話です。

防衛大学校とはどんな学校?

まず防衛大学校についてご存知ない方のために解説をしましょう。
防衛大学校とは防衛省管轄の学校で、将来の幹部候補生を育成するための教育機関です。

防衛大学校の学生になると学費無償、衣食住無料、さらに給与と賞与が出ます。私立大学に通うと4年間で400〜500万円の学費がかかることを考えると、防大に進学するだけで「親孝行者」と言えるでしょう。

さらに防衛医科大学校に進学するとゴールドライセンスである「医師免許」も給与を貰いながらGETできます。つまり防大や防衛医大とは「勉強さえできれば、一文なしで進学できる」学校なのです。そして諸外国では士官学校に相当する学校なので、成績さえよければ他国の士官学校へ留学や研修が可能です。また各国の士官候補生が留学生として学んでいるので、実は国際色豊かな学校とも言えます。よくわからない大学の国際学部に進学するよりはよっぽどグローバルと言えるでしょう。

そして卒業をすると一般幹部候補生として自衛隊の就職が決定し、防衛省の中核として国防を支えることができると言うゴールデンコースです。まさに「いたせり尽くせり」な学校なのです。ここまでの話を聞き、あなたの親戚のおばちゃんは「防衛大学校進みなさいよ!こんなに良い学校ないわよ!うちの子なんて私立大で...」と語ること間違いなしです。

つまり防衛大学校とは「この世の天国」なのです。
みなさん進学しましょう。

fin.

 

と言いたいところですが、私が入校した時には大きな落とし穴がありました。それは「恐ろしく生活規律厳しい」という点でした。当時は「厳しい生活を送らないと精神が鍛えられない」という学生主体の謎理念があり、特に1学年の中退者や脱柵者(脱走)が続出するという恐ろしい学校でした。毎日がハプニングの連続であり、自分の部屋からスクランブル発進を要請を受け、中隊の廊下を全力で走り回る汗まみれの青春だったのです。

普通の大学生活といえば「新歓サークルで出会った彼女」や「みんなで軽自動車で海に沈む夕日を見に行った」など爽やかで甘酸っぱくて、小沢健二がバックミュージックに流れていると思いますが、我々は違いました。おしゃれなカフェにふわふわのパンケーキなど存在しません。寒々した食堂で「ドレッシングなしの生野菜サラダ」を食べる寺修行のような日々を送り、バックミュージックは君が代でした。

宮下あきら先生による「魁!!男塾 」という名作がありますが、当時の防大生にも「男塾1号生ー!!」という雰囲気が漂っており、起床後すぐにフルスロットルで空に飛んでいく気持ちがないと到底生き残ることができなかったのです。

体感としては大体こんな感じ(宮下あきら 魁!!男塾より)

なお現在では「厳しい指導はパワハラであり、防大教育に相応しくない」という声から教育方法の見直しがあり、だいぶ緩和されていますので、あくまでも「過去の話」ということを念頭に入れて見て頂ければと思います。(なお下記の記事が防大に入校するまでの話です)

防衛大学校入校マニュアル~夢のワンダーランドへ①~

お客様期間から全てが始まる

防衛大学校の試験をパスし「入校します」という書類を提出すると、横須賀小原台にある男塾で楽しい青春を送ることができます。防大は小高い丘の上にあり、近隣の住民からは「いつもラッパと野獣のような咆哮が聞こえる」と評判も上々です。

なお防大は4月1日が学校に行く「着校日」で4月5日が「入校式」という一般大学ではあまりないようなスケジュールが組まれています。この4月1日〜4月5日までの5日間は「お客様期間」と呼ばれており、「5日間の寮生活で自分が頑張れそうか判断してネ(^_^)」という優しい心使いから見極め期間が設定されているのです。ゲームで言えばチュートリアルモードのようなものでしょう。しかしこの5日間で新入生はドカドカと辞めていきます。当時は50人〜100人が5日間で辞めることは普通であり、名前も覚えないうちに新規ユーザーが防大をログアウトしていきました。

では何が厳しいのでしょうか?正解は「全て」です。「集団生活が辛いから...」というレベルではありません。何もかもが厳しく、森で暮らす小動物のように警戒アンテナをMAXにしないと、恐ろしい猛獣たちに襲われてしまうのです。ゲームで例えるのであれば「ヌルゲーマーでは1面も攻略できない」ような玄人好みの難易度に設定されていたと言えるでしょう。新入生はもちろん厳しいことを承知で防大にきますが、残念ながら彼らの想像力ではカバーできないほど厳しかったのです。


たけしの挑戦状ぐらい難しい

それでは4月1日の着校日について説明しましょう。4月1日は防大正門近くで受付をすると「ちょっと待ってて」と言われ、待っていると自分の「対番学生」がきます。対番学生とは防大生活の右も左もわからない新入生に「生活のイロハ」を教える指南役です。2学年と1学年がペアになる形になります。新入生は着校からの3か月ほどは対番学生に色々と教えてもらいます。

ここまでは普通ですが、当時の防大は一味違います。対番学生がやってくると「今日からよろしくね。君は2大隊1中隊だから案内するよ」などと言われますが、恐ろしいことに明らかに顔が疲れ切っているのです。例えるのであれば、JR埼京線の通勤ラッシュに堪えているおじさんといった雰囲気です。ありとあらゆるストレスに耐え、社会という荒波に揉まれているような印象を20歳そこらの若者から受けるのです。



なぜ対番学生が疲れているのかを知りたい方は下記の記事を見てください。

嵐を呼ぶカッター訓練(前篇)

ニコニコでキラッとして「よ〜し!これから楽しい防大生活をエンジョイしようぜ!」と爽やかに言う対番学生もいますが、大抵は「ギラギラのハイ状態」なのでガンギマリの目が怖いです。そのヤケクソさに怯えて新入生は怯えるのです。とにかくファーストコンタクトはこのように始まります。


キャパシティオーバーする初日の生活

着校初日は「制服・作業服の選定」「医務室での健康診断」「指導官への顔合わせ」「作業服の名札縫い」「アイロンがけ、ベッドメイク、靴磨き」などを行います。お分かりかと思いますが、やることがとても多いのです。

普通の大学であれば「荷物を置いて挨拶して終わり」ぐらいだと思いますが、防大はとにかくやることが多く、教えられることも多いので休まる暇がありません。また防大では「まだまだ新入生だからわからないよね(^_^)」という配慮がほとんどなく、教えてもらった瞬間からMAXのレベルを求められます。特にプレスと言われるアイロンがけは「エクストリーム」レベルに厳しく、シワひとつ許されない職人技を求められるようになります。このプレスが上達しないと無限地獄の服装点検となるので、死活問題となります(このエクストリームプレスについては後述します)

またOD作業服を着させられますが、これがまたカッコ悪いのです。帽子の被り方、着こなしなども厳密に決まっているので、自己流の着こなしは厳禁です。襟を立てたり、チャックを開放すると罪人になります。この作業服は「着こなし」という技があり、背面の布が身体に綺麗に密着するように切るのが礼儀とされています。この着こなしを作るためにはイナバウアーのような逆海老反りし、背中の裾を力の限り引っ張る必要があります。

イナバウアー蛙
この着こなしが崩壊すると点呼時に後ろの列に並んでいる上級生が「う〜ん、美しい着こなしだ!」と言って背中を掴んでくるので要注意です。そのため着こなしを絶対に死守しなければならないのです。

日夕点呼
後ろの上級生脅威(出典元https://www.mod.go.jp/nda/cadetlife/dailyschedule.html)

なお私の対番学生は上級生や指導官に会うたびに「オッ!!」と敬礼をしながら、謎の大声を発していました。私が「『オッ』とは何ですか」と私が聞いたところ「え?お疲れ様ですだよ?」と対番は返してきたのです。まり「お疲れ様です!!」を毎日言いすぎて「オッ!!」と言う言葉に凝縮されてしまったのです。また「スルメェ!!」と大きな号令が聞こえて「何事だ!」と思ったら「前に進め!」ということもあります。このように「意味不明な言葉」が多いのも印象的でした(さらに基本的に会話が早口なのでリスニング能力も求められます)

お風呂と食事も戦場だ

ようやく日中に一通りのことが終わると「さあ、風呂と夕食に行こうか」と連れて行かれるのですが、まず大浴場が恐ろしいことになっています。大浴場の脱衣スペースが狭いため、混雑していると着替えるところが全然見当たらないのです。特に着校日は怒涛のごとく、新入生と対番が押し寄せるので、帰省ラッシュの新幹線のような混雑具合になってしまうのです。


そして、何とか大浴場にたどり着いても大浴場の周りを新入生と2学年がぐるっと囲み、浴槽に直接、風呂桶を入れて体を洗っていました。また浴槽の中にも大量の坊主頭の学生が入っており、「ここは捕虜収容所か!?」とツッコミを入れたくなるような状況でした。

銭湯のように固定のシャワーももちろんありますが、使用できるのは「上級生だけ」というルールがあり、風呂場に置いてもヒエラルキーが存在していました。そして「下級生浴槽」と「上級生浴槽」という区分けも存在し、下級生が湯船に溢れかえって一方で、上級生浴槽は3人ぐらいしか入っていません。ここで「こっち入ってもいいですか?」と質問すると「2年後に入れるよ」と暖かいお言葉を頂けます。当時の防衛大学校では「上級生になったら解禁」というルールがいくつも存在しイベントをクリアしてアンロックする必要がありました(トロフィーコンプリートする卒業できます)

なお、ここでの入浴も「湯通し」レベルなので長く入ることができません。長く入ったところで汗でぐっしょりと濡れることが確定なので意味がないのです。風呂のあとは夕食に行きますが、着校日の大食堂は「コミックマーケットか?」というぐらい混雑しています。
長蛇の列01 | フリー素材ドットコム

そうした混雑をくぐり抜け、煮付けやフライを取ろうとモタモタしていると心ない上級生が
「おい!早くしろ!」と言ってくるので心が落ち着きません。そして食事を食べても対番学生は恐ろしいスピードで食事をとるので、それに合わせて早食い選手権をする必要があります。そして食べ終わると「今日はゆっくり食べられたな」と不穏なことを言うのが印象的でした。

こうして何とか食事を取って学生舎に戻って一息つけるかと思いきや、対番学生が「ここからが戦場だからね!」と謎のフラグを立ててきます。当時の1930頃(19時30分)に点呼がありましたが、1910ぐらいから夕方の清掃が始まります。当時の防大はこの1910〜1930ぐらいが「クライマックスタイム」であり、胃が痛くなる時間だったのです。

つづく

クライマックスタイムでぱやぱや経験したこととは!?

次回に続く。

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