防衛大学校卒業式前夜について~燃える本能寺~

防衛大学校の卒業式には毎年総理大臣が参列訓示し、式典の最後には帽子投げを行う。この様子は毎年テレビや新聞などのマスコミで報道され、恒例の行事になっているので自衛隊に興味がある人であればメディアを通して目にしたことも多いだろう。しかし、実は防大生にとって卒業式と同じぐらい重要なイベントがある。それは「卒業式前夜」なのだ。今回についてはその卒業式前夜について解説していこう。

こちらは私が在籍していた頃の話であり、時代が変わった現在ではこのようなことはない(はず)
   あくまでも遠い昔の思い出話との認識を持ってみてほしい。

1.卒業式前夜について

私が在籍して頃の防大は「1年ゴミ、2年ホウキ、3年人間、4年神様」という強烈なヒエラルキーがあり、上級生からの意見には「はいorイエス」で答える学校であった。そんな防衛大学校にも下剋上が起きる日が年に2日ある。それが「勤労感謝の日」と「卒業式前夜」なのだ。なお「勤労感謝の日」はまた後日詳細を書こうと思うが、1学年が最も偉くなり、4学年が1学年の役割をするイベントだ。次に「卒業式前夜」だが、こちらは勤労感謝の上位互換バージョンのイベントだ。勤労感謝の日はあくまでも課業時間中のみイベントだが、卒業式前夜のイベントは「消灯後」からスタートをする。そして終わりは「卒業式当日の起床ラッパ」だ。このあたりで無茶苦茶な感じがわかるだろう。


なぜこのようなイベントが容認されてきたかと言うと、そこには防大特有の環境が関係していると思う。防衛大学校はご存知の方も多いが「大学校」であって「大学」ではない。Academyであり、Universityではない。甘酸っぱい夢のキャンパスライフではなく、涙と汗の味がするしょっぱい刑務所生活である。

卒業まで学科は150単位以上、訓練や校友会(部活)で潰れる休日、個室はトイレだけ、とにかく不条理な上級生からの無茶振りなどに4年間耐え、幹部候補生学校という違う地獄の切符を手に入れることができるのが防大生活なのだ。

そんな防大生活から開放されるのが防大の卒業式であり、指導教官も防大卒の若手幹部が多いため、ある程度は目を瞑って大目に見ていたのだと思う。

そのような訳で私が在籍していた頃は防大卒業式前夜は大きなお祭りであったのである。

2.卒業式前夜で発生すること

「消灯後に寝室でお菓子を食べて、みんなで学生生活の思い出話と理想の幹部自衛官の話をする」
と書きたいところではあるが、そんな昭和の健全な青春ドラマのようなストーリーは存在しない。私がいた頃の防大の卒業前夜は下記のような出来事があった。

  • ロケット花火を打ち上げる
  • マットレスで階段を魔法の絨毯のように駆け下る
  • 展示している魚雷をプールに投げる
  • 飛び込み台から先輩への愛を叫びながらプールに飛び込む
  • 時計台に侵入して、屋上で記念撮影
  • 展示の74式戦車に入って記念撮影

当時は卒業式前夜は消灯ラッパがなって30分後ぐらいにロケット花火が飛び、「あぁ今年もこの日がやってきた・・・」と私は寝室でポテトチップスを食べながら思ったものである。

もちろん「大目に見る」と言っても当直幹部からは「服務規律違反は厳罰に処す」「学生はふざけることがないように」と散々注意される。とはいえ、これらはダチョウ俱楽部の上島竜兵の持ちネタと同じで「はい、そうですか」と言って寝る学生は当時はほとんどいなかった。よく学生は当直幹部に捕まって当直室で正座をしていたものである。

特に当時の伝統行事は「上級生へのお礼参り(下剋上)」であった。
次に下剋上について説明をしていこう。

3.上級生への下剋上について

昭和の時代には不良少年を不条理に殴る体育教師が卒業式にお礼周りをされるように、卒業式前夜では虐げられてきた1学年が4学年に下剋上を仕掛けてきた。

とある年はブーメランパンツの水着を履き、どこで買ってきたかわからないタイガーマスクの仮面や筋肉マンの仮面をつけターゲットの上級生の寝室へ押し寄せてきた。

そして「ついに始まりました超人マッチ。奴隷ブラザーズVS不条理超人〇〇」と蝶ネクタイにおかめの仮面をつけたナレーターが登場し、ターゲットの4学年にプロレス技を仕掛けるのである。なおここでターゲットにされるのは大抵の場合、同期からも「あいつはやり過ぎだ」と言われるメンバーであり、周りの4学年も「因果応報」と捉え、基本的に助けずに笑っているケースがほとんどだ(あんまりひどいともちろん止める)

そしてターゲットの4学年をやっつけた後に覆面レスラーたちは放送機材がある当直室などに行き、「大本営発表〜、本日〇〇号室にて不条理と暴力を持って下級生を虐げる悪漢〇〇を討伐せしめたり〜」と放送し、当直幹部に捕まる前に彼らは逃げるのだ。まさに織田信長がいる本能寺を燃やす明智光秀の軍勢のようだった。

この辺りの話が好きな人はマジック・ユーモアの記事も読んでほしい。

しかし、この復讐劇ショーの裏にはたいてい3・4学年のギャグ要員がフィクサーとして裏で手を引いており、「お前らよくやった」と褒めるのである。まさに社会の縮図である。そのため心当たりのある4学年は寝室に部屋に籠もり、朝を待ちわびるのである。

つまり上級生だからと言って、後輩に無理難題を強いると最終日にきっちりとお釣りをもらうことになるのが当時の防衛大学校だったのだ(どさくさに紛れて2学年あたりも成敗されていた)

なおターゲットの4学年が空手部やボクシングなどの場合「お前ら全員まとめてやるからいつでも来い」と言う腕自慢もいたが、このような上級生のもとには1学年は誰も行かないのである。

4.寝不足の卒業生

私は卒業前夜を楽しむタイプだったが、4学年の時も結局1時ぐらいに寝た。しかし中には「防大こそ人生のすべて」という「防大大好き信仰マン」がおり、隊舎の裏で長渕剛をギターを持って号泣して歌っていたり、夜中の防大を当直幹部に見つからないように校内一周している同期もいた。そんな彼らは一睡もせずに卒業式に臨むため、卒業式の総理大臣の訓示で眠気との戦いになる。

特に参列者のスピーチの中には「何が言いたいがわからないが、とにかく長い」という中学校の校長先生のような人もいるため、卒業前夜は普通に寝るのがやはり得策なのである。

5.おわりに

今は時代も変わり、かつての卒業前夜のお祭り騒ぎも特にないと思うが、当時の防大はよくも悪くも息抜きのようなイベントがありそこは楽しかった。

卒業式の帽子投げる前にも学生たちのドラマがあったことをぜひ覚えていてほしい。

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