地獄にいると心が乾く、陸上自衛隊幹部候補生学校⑤

出典元(防衛省HPより引用)

「幹部候補生学校は地獄だ」と各候補生たちに恐れられてきた。しかし厳しい幹部候補生学校には実はベリーハードモードがある。それが部内幹部の前段課程だ。この地獄では雨がすべてを湿らし、地面はぬかるむ。そして行軍では候補生たちは水を求めて亡者のように歩く。もし部内幹部の前段教育になった場合は自分の運命を呪うが良い。

1~4話はこちらから

1.部内幹部課程(I幹部)について

自衛隊において幹部(士官)というと防大卒や一般大卒が多いイメージがあるが、実は陸上自衛隊においては部内幹部が多く、彼らは一兵卒から入隊し幹部(士官)になっていくのだ。士長(兵卒)から陸曹(軍曹)になるためには陸曹教育隊という課程を乗り越え陸曹になるが、陸曹から幹部になるためにはさらに幹部候補生学校に入校する必要がある。防大・一般大卒(BU課程)の幹部と部内幹部(I課程)の違いをざっくりと説明するのであれば、BU幹部は高級幹部を育成するコースであり、I幹部は現場指揮官を育成するコースと言われている(もちろんI幹部でも実力次第で高級幹部になれる。陸自は学歴・課程だけではない)


そんな部内幹部(I課程)だが、幹部候補生学校においては実はBU幹部よりも候補生のメンバーも教育課程も遥かにカオスだ。

陸曹教育隊は各方面隊にあるため、北方の隊員は北海道で、関東の隊員は静岡で教育を受ける。しかし幹部候補生学校は一つしかなく、北方の候補生も西方の候補生も全員久留米に集結する。そのため久留米の気温差についていけずに北方の候補生も少なくない。ある候補生は北方出身でスキー上級徽章を持っていたが、久留米の猛暑にやられてバテて、付教官・助教に散々しごかれたので「いつか北海道のパウダースノーでたっぷり可愛がってやる」と毎回心の中で思っていたと聞いた。狭い日本でも地域によって気候差があるため、同じ地域で訓練を続けてきた候補生は苦しむのである。

彼らも久留米の夏に苦しめられる。出典元:陸上自衛隊(https://twitter.com/NorthernArmy_pr/status/1356870649310924806/photo/3)


また幹部候補生学校は同じ期別になると陸曹時の年齢・期別・階級がリセットされ「同期」となる。そのため陸曹教育隊で散々しごかれた助教や原隊の先輩、少年工科学校の先輩・後輩が同期になる。もちろん会話は候補生同士でも敬意を持って敬語を使うが、同期のため必要以上に気を使ってはいけない。そのため、陸曹教育隊でさんざんしごいてきた鬼助教が付教官に携帯没収されてションボリする姿を見るものまたI課程なのだ。まさに諸行無常であり、自衛隊においては学生になった途端に「お前ら今まで何をやってきたんだ?」と怒られるのが常なのだ。
また彼らは陸曹教育隊では「陸士根性を捨てろ!」と言われ、幹部候補生学校では「陸曹根性を捨てろ!」と言われるため、私の知り合いは「幹部根性はどこで捨てれるんだろう」とぼやいていた。

なお部内幹部になるとその職種の試験を受けて合格すれば職種変更が可能になる。そのため自分の希望職種でなかった場合は変更できる可能性がある。実は幹部候補生学校はドラクエのダーマ神殿のよう役割もあるのだ(会計・需品・情報が人気コースのようだ)

出典元:ドラゴンクエスト3(スクエア・エニックス)

2.I課程の幹部候補生は・・・強い。

まだまだ自衛隊経験のないBU(防大卒・一般大卒)候補生と異なり、部内幹部のI課程の候補生はそもそも強い。理由は自衛隊での経験が長く、陸曹教育隊を経験し、部隊の陸曹として活躍してきたメンバーが多いからだ。BU候補生は言ってしまえば新隊員~陸士長レベルだが、I課程は陸曹スタートなので経験が段違いなのだ。

そのため彼らは「辛いこともときが経てばすべて終わる」という自衛隊の金科玉条をすでに持っており、厳しい指導があっても「あ~、このパターンね」と経験則で乗り越えることできる強さがある。また空挺団や水陸機動団、少年工科学校、ヘリパイロット出身者などもおり、総じて意識も高い。自衛官として一定の水準がないと来れないのだ。なお戦闘職種出身者(普通科、機甲科など)以外の後方職種の候補生であっても「なぜこの人は会計科?」というゴリラのような益荒男も普通にいる。部隊で部内幹部として推薦されたり、自ら志願をしてくる人たちはやはり強いのだ。(中隊長に泣き落としされて幹部になる若手も割といるが・・・)

空挺団のマッチョもいる出典元:陸上自衛隊(https://twitter.com/jgsdf_1stAbnB/status/1371374514542551040/photo/1)

なお現在、陸上自衛隊においては幹部自衛官が少ないため、経験のある陸曹であれば幹部になるハードルはそこまで高くないが「適正がない」と判断されると普通に落ちる。そのため何回も試験に挑戦する人は少し有名になり、入校後は「遅れてきたルーキー」とあだ名されることもあるようだ

3.前段・後段が運命をわけるI幹部課程

BU幹部は4月入校という選択肢しかないが、I幹部は前段(4月~9月)後段(10月~3月)という2つの時期がある。実はここがI幹部候補生の運命を分けることになる。理由は久留米の夏は狂うほど暑く、おぞましいほど雨が降るからだ。そのため前段に入校になると教育が自動的にハードモードになる。前段の候補生は久留米の気候に苦しむ。武装障害走のコースでは大雨で崩れそうな崖をよじ登り、防御訓練で陣地構築をすれば雨水で風呂になる。そして一番悲惨なのは行軍だ。

前段の行軍は真夏の高温多湿の地獄で行う。昼間は焼け尽くす日差しで体力を奪い、夜間は霧の熱帯夜を歩く(もちろん大抵は大雨もハッピーセットだ)そのため行軍は水を求める亡者のようになり、訓練風景の写真を見るだけで気の毒な気持ちになる(もちろん広報写真では検閲されるため、一般人が見ることはないだろう)なお私の知り合いのI幹部は最初の区隊長の挨拶で「君たちは残念ながら前段になったけど、自分の運命を呪って頑張ってくれ」と言われたそうだ。それほど前段教育はキツく、ハードモードなのだ。


それでは次に後段教育(10月~3月)について解説しよう。こちらは私の経験上、「比較的 楽」と言えるだろう。理由は久留米はほとんど雪がふらず、冬はそこまで雨もふらないため、気候で体力を奪われることがない。確かに演習場に行けば温暖な九州でも氷点下となり少しの積雪もあるが、それは日本中の演習場に共通のことであり、部内幹部候補生なら容易に対応できる。また寒冷地地方から来た候補生から見れば雪がないだけでイージーモードといえる。行軍でも前段教育では水を求めて亡者のようになるが、冬の積雪のない行軍は陸曹教育隊の経験があれば対して辛くないだろう(私も晩秋の行軍では普通に水が余った)

つまり部内幹部は「前段」「後段」のどちらかになるかが教育の難易度を決める大きな分岐点になっていたのだ。しかし「俺は体力にそこまで自信がないから後段がいいなぁ」と選択肢は基本的にできない。振り分けは職種に関係なく完全にランダムだからだ。前段になったら自分の運命を呪おう。

4.教育内容もBU幹部課程よりもカオス

BU課程は自衛隊の経験がほとんどない候補生たちのため、教官たちが詳しく時間をかけて教える。しかしI課程の場合は「部隊でやってきたと思うから・・・省略!Iだからできるだろ!」というスタンスが多いため、教育も5ヶ月ちょっとで終了する。そのためとにかくスケジュールがタイトだ。高良山走が終了後にすぐに富士山武装障害をがあるため、ひたすら走り、その後はすぐに行軍と防御訓練、試験だ。もはや息をつく暇がない。


また教育も戦闘訓練などのときは教官が「おい!レンジャーいるか!」と候補生に問いかけて、候補生が手を挙げると「ここはレンジャーの得意分野だから説明よろしく!」とパスされると聞いた。そのため教育のたびに「おい!通信科!」「おい!施設!」「おい!化学!」とパスが始まり、候補生の解説が始まるのだ。それ故に教官も適当なことを言うと候補生から「いや、それは違いますよ!」と候補生から厳しい指摘が入るので、ピュアで経験もないBU課程と比べて教官も大変だろう。私の知り合いのI課程の教官は突っ込まれると謎の精神論を炸裂させ、勢いで候補生の厳しい突っ込みを乗り切ると聞いた。幹部候補生学校の教官はそういう力が必要なのかもしれない。


なおI課程は年齢層も様々のため、区隊長(30歳 1尉)助教(26歳 3曹)の下に候補生(36歳 元1曹)も普通にいる。そして年下の教官に泣かされるおじさん候補生もいたり、夜中に息子の写真を見たりベソを書いたり、休憩時間はすべて娘との電話につぎ込むおじさんもいる。お父さんたちは大変なのだ。

武装障害走のあとに泣きながら嘔吐するお父さんもいる(出典元:陸上自衛隊 https://twitter.com/jgsdf_ocs/status/1309358619603787782)


さらに彼らは自衛隊経験が長いので自衛官としての楽しみ方もまた知っていた。幹部候補生学校では起床ラッパ後に窓を開けて「おはよー!!!」と叫ぶ規則があるのだが、私の知り合いは入校して3ヶ月たったタイミングで毎朝「おはぽよぉぉぉぉーーー!!!!」と絶叫していたと聞いた。「おはぽよ」は実はバレるようで大声でいうと「おはよう」に聞こえてバレないのだ。また顔だけ全力風で「おはよ♡」と行っていた人もいた。こういう人をアクターと呼ぶ。


その他にも元日本軍の人にインタビューをするのがライフワークの候補生、何回もPKOに行っている候補生、剛健ピースを3つ欲しいという候補生、「お前ら!最高だよ!絶対最高の!幹部になろうな!!」と目をキラキラさせていう和民社員系の候補生などバラエティ豊富だったようだ。

4.次はMD課程、SLC課程

嵐が吹かねば、太陽が輝かぬとするなら、
大地を走る無謀な風となろう。
戦いの果てにしか安らぎは来ないものなら、
己の血のたぎりに身を任せよう。
それぞれの運命を担い男たちが昂然と顔を上げる。

つづく

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